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追記にさげているのは、ただ単に長いからさげているだけです。
グロくてもエグくても、注意書きなしです。
実際の事件や障害を持った方々を茶化す目的は一切ありません。
あくまで創作の一つとして捉えていただければ幸いです。

更新が数ヶ月無かったりもするかもしれませんが、行き詰まってるだけです。気にしないでください。きっとツイッターは更新してます。

スパム避けにメールフォームは「http://」をNG指定に入れています。
リンク貼ったよー等サイトのURLをのせる場合は注意していただければと思っています。
報告自体自由ですので、連絡なしでも大丈夫です。


まあこんなものですかね。
では、少しでもどなたかの暇潰しになれば幸いです。

水底の廃墟 管理人 あまた
Twitter @nekoyam9 pawoo @nekoyam9
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中途半端に六月からっていう。
あまたの思ったこととかを呟きにまとめてみましたw
 
まだ一人寝というものが怖く、私に憐憫を寄せる巫女と一緒に眠った時にその夢を見た。

私は夢の中でその巫女と手を握り歩いている。
やがて、なにがしかが書かれていただろう看板のある村の入り口に着き、私は「疲れた」と泣き言をいう。それに同情したらしい巫女は、優しい笑みを見せてその村の中へ私とともに足を踏み入れた。

――その村は、『異様』だった。
そこかしこに横たわる青紫色をした死体。夢でも現実でも「死体」というものを見たことがなかった私は、それらに恐れ慄いて、半泣きになる。

「大丈夫、大丈夫だよ」
「っ、で、も」
「私がついててあげる。君が危ない時になったら、私が代わりにその災厄を受け付けるよ」

にこり、と笑ったその巫女は「安心しろ」とでもいうように私の頭を撫でる。
そうしている最中、ととと、と複数の軽快な足音が聞こえた。半ば滲んでいる視界の中その足音の元を辿れば、数人の少女が立っていた。

「ここはね、転んだら死んでしまう村なんだよ」
「……え」

信じられない、と思った私は、咄嗟に巫女を見上げる。恐らくは、巫女も同じことを思ったのだろう、空いている右手で既に印契を結びつつ、術はまだ発動させている段階ではないようだった。
そんな私と巫女をせせら笑うように、唐突に動いた少女の一人が青紫色の死体に躓いて、転んでしまう。……すると。

「きゃああああぁぁぁぁ……」

転んだ少女が悲鳴を上げ、青紫色の死体へと変化した。
少女達の言うことが嘘ではない、と判断したらしい巫女は、構えていた印契で素早く私と自らの周りに結界を張って、疾駆を始める。

「み、巫女さ、」
「大丈夫、君に危害は加えさせない。私の命に代えても」

今思えば、憐憫でもなんでもなく、ただ「贄を護る」という思考のもとで動いていたのかもしれないが。
それでも、追いかけてくる少女達から私が死体に躓き転ばないように、それでいて少女達から隠れられるような場所をその慧眼を以て探す巫女は、いつか覚める夢の中とはいえ、一番近しい存在で頼もしく思えた。

やがて、少女達の姿が遠く小さくなる頃、やっと隠れられそうな路地を見つけた私と巫女は、その中に飛び込むように駆け込んで、荒い息を整えるために壁に背をつける。

「巫女、さん」
「ん?」
「夢、なん、だよね?」
「……私が見た、限りだとね」

ぐ、とその巫女は、あまり傷にまみれていない己の手を握り締める。
そして、路地の中に横たわっている青紫色の死体をじっとりと睨み付けた。
自分に「能力」がないから。その眼は、何も言わずともそう語っていた。

その時だった。
ふ、と。私の頭の中に、ある人の顔と言葉が流れ込んでくる。

『巫女を犠牲にしたら助かるんじゃないかな』
「ッ!?」
『転んだら死ぬ村。そこに二人で来たのなら、どちらか片方が犠牲になればいい。私が視た限り、それで君の目は覚める』

誰のものかは分からない一斤染の目が、毒気をもって細められる。

『君が「逝にたい」というなら、話は別だけれど、ね』
「……」

利休鼠の髪が、風もないのにさらりと揺れて。
そして私は、巫女にある一つの提案をした――。




「あ、起きた?ヒナリ」

吸い込まれるような楼の黒い瞳が、私の視界にまず飛び込んでくる。
やおらむっくりと身体を起こして、私は嘘の欠伸をした。

「魘されてたけど……大丈夫か?」
「うん……少し、昔の夢見てただけ」

ぴく、と楼の身体が揺れる。
楼は、私が昔の話をするのを、好く思っていないらしい。楼は自由な性格で掴みどころがないのだ、と鵙さんから教わってこそいるが、私に対する事柄だけにはとげとげしい態度になってしまうらしい。それについては、柳月荘に住み始めてたったの数週間で分かったことだった。

ごしごし、と瞼を擦り、私は自らの犯した『罪深い記憶』を頭の中から追いやろうと足掻く。

私が巫女にしたある一つの提案。
それは、私が聞いたものを、巫女にそのまま伝えたというだけのものだ。しかし、私は生きている。そこから導き出される答えは、ただ一つ。

あの日、共寝した巫女は、私が目を覚ますと私の隣で冷たくなっていた。
他の巫女達は何を言うでもなく、その死体を事務的に片付けた。

それは非情で。けれど、その「非情」を引き起こしたのは、間違いなく私で。

「……ヒナリ?」
「なんでもないよ、楼」
「そう?なら、いいんだけど」

本当は、何でもないわけがない。
暗澹たる気持ちを押し込めて、私はまた、嘘の欠伸をした。
 
次の日の夜。

星以外何も浮かんでいない夜空を前に、私と楼、そして鵙さんは庭に出ていた。

「いいかい雛里、頭痛がしたらすぐに言うんだよ」
「分かりました」

手に力が入り、私は自分の着ていた寝間着をきゅうと握りしめる。
そして、私は昨日結界内で鵙さんから軽く教わった「神憑りの仕方」を思い出す。

まず、深呼吸をして、目を閉じる。精神統一をし、自分に「呼び掛けたい」と思う神に、「自分はここにいる」と強く思う。
……すると。

『……雛里』
「!」
『……昨日は、悪かったね』

楼でも、鵙さんでも、ましてや私でもない声。
それが、頭の中に響きはじめた。

『私は、まだ名もない神。力の制御がうまくできず、昨日のようなことを引き起こしてしまった』
「……」
『本題に移るが……私は月吠鵙に頼みがある』
「……?」

名もない神様は、一呼吸置いたらしく、一瞬の間の後、私に告げた。

『私の娘から、夢を取り除いてほしいんだ』




「ふうん……「夢を取り除く」ねぇ……」
「でき、ますか?」
「ああ、できるとも」

神憑りを終えたあと少しだけ眠った私は、朝食時、鵙さんに神憑りの内容を告げた。
ただ、何故か鵙さんは腑に落ちないらしく、態度が煮え切らない。

「神憑り自体が悪いわけではないんだ」
「……何か拙いんですか?」
「『神の娘』というのが引っかかっていてね」

鵙さんが結い上げた自らの髪の簪が、しゃらり、と音を立てる。

「『神の娘』なら、何か大きなことをする立場にいるはずなんだけれど……私は聞いたことがなくてね」
「隠してるんじゃないのか?」
「隠していたとしても、周りの態度で解るものなんだ。例えばその者だけにいいことが起きたりね」
「いいこと、って?」
「花見に行こうとすればその者が通った道にのみ花が咲く。雨で嫌な行事が潰れてしまえばいいと思えば災害並みの雨が降る、とかね」

まあこれは極端だけど、と鵙さんは一斤染の目を片方だけ閉じて言う。

「んー……俺も聞いたことないな。結構鈴蕗の中を動き回ってる方だとは思うけど」
「じゃあその神様が嘘ついてるんですか?」
「その気配は感じ取られなかったな。何か雛里に害を与えるような意思も感じ取れなかったし」

うーん、と鵙さんは唸って、首を傾げる。利休鼠の髪が揺れて、それに合わせて簪もまたしゃらしゃらと音を立てる。

「アテもないのか?」
「はっきり言えばね。いざとなったら呪術を使うけれど」

……私は一つだけ、鵙さんに言っていないことがある。
鵙さんが「神様」だと思っているのは――私の、父親だ。

「ヒナリ?」
「うん?」
「何か考え事か?黙ってたけど」
「……ううん、なんでもないよ」

楼にまで嘘を吐いたのは、私が私の父に会いに行こうと計画を練っているからで。
まあそんなこと、鵙さんにはきっとバレているだろうけれど。

「ああそうだ、楼には頼みたいことがあったんだ」
「……鵙の頼まれごととか嫌な予感しかないんだけど」

苦々しく言う楼と、扇子で顔の下半分を隠す鵙さんを見て、私は死地にでも行く気分になっていた。

――楼に「さよなら」、言えるかな。そんなことを思いながら。




「……来たか、雛里」
「約束、でしたので」
「殊勝な態度になったな」

紅い髪を揺らして、その人物は笑う。

「十年ぶり、か」
「はい」

透き通るように白い眼で私を見た人物。
この人物こそが、私の父親――泰伯九重だ。

「変わったことといえば、私が年を食い、お前が成長したくらいだな」
「……」
「まあそう固くなるな。月吠鵙には、このことは知られていないのだろう?」
「少し散歩に出てくる、と言い出てきました」

自らの父親にすら、私は嘘を吐いた。
楼が神様だと思っている私の父が、私に「夢を取り除いてほしい」と言ったということは、もう一度、鈴蕗の祭りで「贄」として捧げる気があるからで。鵙さんとの接触を完全に断ち切るために、私の父は私に「自らの家に来い」と言ったのだ。これも、鵙さんや楼には言っていない。

「まあ、いい。月吠鵙以外にも夢を取り除ける呪術師などいるからな。あとはお前の記憶と、自意識を消せばそれでいい」
「……もう一度、贄にするために」
「知っているならば話は早い――」
「はいはーい、ちょっと待った」

私と、私の父しかいないはずの空間に、調子外れなほど大きな声が響く。
続いて、どがん、と音がして、壁に穴が開く。その穴から姿を現したのは。

「……篝楼、か」
「その通り。ヒナリをつけてくれって鵙がいうから何かと思ったけど……まさかヒナリの父親と会うことになるとはね」

もう既に、半狼と化している楼。その眼には、怒りが込められている。私が嘘を吐いたことが腹立たしいのか――それとも、違う理由があるのか。そこまでは、私には計り知ることができない。

「一度投げ出した娘を呼び出すってどういう魂胆?」
「……お前が知ったところで意味などないな」
「どうせまた贄にでもしようと思ってるんだろうけど――それはできないんだよね」
「何故、そう言い切れる?」
「だって、ヒナリは俺がまた連れ去るから――ね!」

がるるる、と唸り声をあげて、楼は私の父に飛びかかる。何をするのか、と思っていると、その尖った牙で喉を喰いちぎり、さらには心臓まで抉り出した。恐らくは、鵙さんの呪術も楼に手を貸しているのだろう。

「はあ。やっぱまずそうな人間はやっぱしまずいな」
「……楼」
「んー?通りすがりの狼男に何か用かなお嬢さん?」
「この状況じゃ『通りすがり』って言えないよ」
「ま、そだな。とりあえず、騒ぎが大きくなる前に逃げるか」
「……楼」
「ん?」
「嘘吐いて、ごめんね」

私の言葉に、楼は一瞬面くらって。それから破顔した。

「そんなこと気にしないって」
「……私が気にする」
「そりゃ困ったなー」

けらけら、と笑って、楼は私を横抱きにして、いつかしたように、夜半の道を疾駆するのだった。
 
綺麗に、月が出た夜。
私は庭に出て、汗ばむ肌もそのままに季節外れの月見をしていた。

「あ、ヒナリここにいたんだ」
「……楼」

人の耳がある筈の場所からは髪と同じ色をした獣の耳。腰のあたりには、同じく髪と同じ色をした獣の尾。それらをぴょこぴょこぶんぶんと動かしながら、楼が私の前に姿を顕した。

「どっか行っちゃったかと思った」
「……私には柳月荘以外に行き場なんてないよ」
「んー……まあ、そうなんだけどさ」

すとん、と私の隣に腰を下ろして、楼は言う。
私に「より広い世界」を見渡せるようにしてくれた楼。四畳半の世界が狭いと思っていなかった私にとって、楼はある意味『救世主』だった。

「満月の夜に外出ていいの?」
「いんや、よくない。今必死で獣化するの抑えてる」

くつくつ、と楼は笑って、私の頭をさりげなく撫でる。

「でもさ、ヒナリもどうしたんだ?こんな夜中に庭出て月見なんて」
「……昔からね、月を見ると胸騒ぎがするから」
「だから、月見?」
「うん。柳月荘に来てから初めての月見」

私の言葉に楼は気のない素振りで「ふうん」と言い、雲に隠れることなく皓皓と輝く月を見上げる。
……何故、私は月を見ると胸騒ぎがするのだろう。そう思いながら、私は自らの服の胸のあたりを締め付けるようにきゅう、と握る。

「かぐや姫みたいだな」
「……かぐや姫?」
「月のお姫様の話。最後は自分を育ててくれたおじいさんとおばあさんに別れを告げて月に帰っていくんだ」

大筋はこんな感じ、と楼は笑って言う。

「私が月に帰っちゃうかも、って?」
「そうそう。ヒナリの場合は「月」じゃなくて「巫女のいる邸」だけどさ」
「……帰らないよ。もし帰ったら死んじゃうかもしれないから」

ふるふる、と首を横に振り、私は楼の言葉に否定の意を示す。
それを見て、楼は安心したように溜息をついた。

「それならよし。……鵙に訊いてみようか?『何故かは知らないけど月を見ると胸騒ぎが』――……ヒナリ?」

楼の言葉の途中。私は激しい頭痛に襲われた。思わず自らの頭を抱えたところで、楼の言葉が止まる。
内部からずきずきと音が響くような。外部から槌でがんがんと殴られているような。そんな痛みが私を襲う。

「ヒナ――」

楼の言葉すら、遠のいて。地面がなくなるような感覚がして。
そこでぷつり、と私の意識は溶暗した。




「ある種の『神憑り』だろうね」
「神憑り?」

苦しそうに眠りながら魘され続けるヒナリの傍。そこで、俺と鵙は話をしていた。
ヒナリの部屋には、すでに明け方となったからか微かに陽光が窓から射している。

「月には神秘の力がある、というのは、狼男である楼は痛いくらいに分かっているだろう?」
「まあ、な」

ぎゅうう、と水に濡らした手拭いを絞り、生温くなったものとそれを取り換えてヒナリの額に乗せる。

「この國には月にも神が憑りついていてね。恐らくはその神が雛里に接触しようとしたのだろうけど」
「……でも、ヒナリは気絶した」
「そう、問題はそこだ。巫蠱に長けた者なら耐えられるだろうけれど、雛里はきっとそういったものの経験を積んではいないのだろうね」

うりうり、とヒナリの頭に触れる鵙を見ながら、俺は自らの顎をすり、と撫でる。

「巫女達にとっては、『贄が逃げ出さないように』、『贄が教育中不意に逝なないようにするため』、巫蠱に関するものは教えていないだろうし」
「今のところこうなるのは仕方ない、ってことか?」
「私が巫蠱に関することを教えてもいいけれどね。……例えば「毒蟲の触り方」とか」
「そんなの俺が許さない」

俺の言葉を聞いた鵙は、ふくく、と笑った。
俺の考えなどお見通し。鵙はその笑いにその意思を含んでいた。

「本当に楼は雛里のこととなると……ふっくく」
「……なんだよ」
「いいや?必死になると思ってね」

ふくふくと笑い続ける鵙を冷たい視線で見ていると、ヒナリが身動ぎをし、薄らと瞼を開ける。

「……ろ、う?」
「気が付いたんだね、雛里」
「あ、もず、さ、」

無理矢理に身体を起こそうとして、バランスでも崩したのかヒナリの身体はがくりと俺の方へとしだれかかる。

「まだ身体は起こさない方がいいと私は思うよ」
「……珍しく、俺も同意」
「あ、れ、わた、し……?」

ぽすん、とベッドに身体を預け、ヒナリは朦朧としている意識の中記憶をたどっているらしく、数秒の間があった。

「……あ」
「思い出したかい?」
「はい。月見を、してて。頭が痛くなって――」
「気絶した」

俺の言葉に、ヒナリは何故かがっくりと肩を落とす。

「……ヒナリ?」
「また、楼に迷惑かけちゃった、から」
「気にしなくていいって」

にへら、と笑ってヒナリに言うと、鵙が俺の言葉を補完するように言葉を発した。

「本当に、気にすることなどないんだよ、雛里。楼はこういった「不測の事態」に慣れているしね。前に祇来の仕事についていった時も、雛里は気絶したけれど楼が介抱していただろう?」

鵙の言葉にぴんときたのか、ヒナリはやおら俺を見上げる。

「……介抱、してくれてたの?」
「ん、まあね。寝落ちしたけど。……いで」

俺が言い終わるか終わらないかぐらいの一瞬に、ごすん、と音を立て鵙が笑顔で拳骨を俺の頭に落とした。

「……ほんと鵙は俺を苛めるの好きだよな」
「虐め甲斐があるからね」
「ヒナリはこんな大人にはなるなよ?……っだ」

『こんな』という部分を強調して言葉を発せば、再び鵙から俺の頭に拳骨が落ちた。
それを見て、ヒナリはくすり、と笑う。

「そうそう。ヒナリは笑ってるほうがいいんだからさ」
「……分かった」

くすくすとヒナリと笑いあっていると、真剣な口調で鵙が切り出す。

「けれど、月を見ただけで神憑りができるというのも不思議なものだね。普通は祭壇を組んだり言霊を捧げて神を喚ぶものなのだけど」
「神憑りってそんなに大事なもんなのか?」
「ああ、大事だね。今じゃ簡単に「祭り」と呼ばれているものだって、元を辿れば「神憑り」だよ」

ふうん、と気のない返事を鵙に返すと、ヒナリが何かを思い出したように鵙を見た。

「あ、私、「贄」だった時に一度だけ聞いたんですけど。自分の評価が『何百年に一度の逸材』だって」
「ふむ、『何百年に一度』ねぇ……」

ヒナリの言葉を聞いた鵙は、すりすりと自らの頬を撫でながらヒナリの部屋をえっちらおっちらと回遊するように歩き始める。

「白色変種……神憑り……施されないままの巫蠱の技術……」

ぶつぶつ、と言いながら鵙はヒナリの部屋の中を三周半したところで足を止め、掌に拳をぽん、と軽く叩きつけた。

「楼、えぐみのあることはしないから、雛里に巫蠱の技術を教えてもいいかい?」
「……ほんっとーにえぐいことはしないんだな?」
「しないと誓うよ」

はあぁ、と俺が溜息をつき、それを諦めの意に感じ取ったらしく――実際諦めだったのだが――鵙はヒナリの傍に傅いて何やら言葉を発する。
それがよく聞こえないのは、鵙がなにがしかの術をかけているからだろうか。

二、三分程経ったころ。
こくん、と頷いたヒナリと、それに笑顔を返す鵙の言葉がようやく俺の耳にも聞こえるようになって。

「それじゃ、決定だね」

そういって、鵙はヒナリはこれから着替えるから、と言って俺を引き摺りヒナリの部屋を後にした。
 
こんこん、というノックの音で、私は目を覚ます。
むくりと起き上がり、ドアまで近付き閂状の錠を開け、ドアも開けると、楼が立っていた。

「今日は寝坊したね、ヒナリ」
「うん……遅くまで本読んでたから」

言いながら瞼を軽く擦り、私は微睡から覚めようと努力する。
時計を見れば、針は昼の十一時を指していた。

「どうする?朝ご飯兼お昼ご飯にする?」
「うん、そうする」

ふわあ、と欠伸を一つしてから、私は自らの洋服が入っている箪笥へと近付く。

「楼」
「うわ吃驚した、鵙か」
「悪かったね驚かせて。それより、同居人とはいえ異性の着替えを見るのはあまり褒められたことではないよ」
「あ」

鵙さんの言葉に、楼は慌てて私の部屋から立ち去る。
けれど鵙さんは私の部屋から立ち去らず、私の部屋に身体を滑り込ませドアを閉めた。

「……鵙さん?」
「雛里、近々朝琉毎にある龍社という街で祭りがあるんだ。行ってみないかい?」
「良い、んですか?」
「勿論良いとも」

一斤染の目を細めて、鵙さんは笑う。

「雛里はまだ祭りというものを傍観者の立場から見たことがなかっただろう?いい機会だと思ってね」

私の頭を撫でながら、鵙さんは言葉を続ける。
そして、いつかやったように私の髪を数本引き抜いた。また、ヒトガタか薬を造るのだろう。

「多少えぐみのある祭りだけれど、ね」
「えぐみ……?」

私が服を脱ぎながら首を傾げると、顔の下半分を扇子で隠して鵙さんは笑う。

「ヒトガタを火中に入れるのさ」
「……え」
「鈴蕗では土人形を贄捧げに使うようになるだろう?それの手本のようなものだね」

手本、ということは、その龍社という街では昔からそういった風習があったのだろう。
昔からの伝統を大事にするのは善いことだ。けれど鈴蕗では昔からの伝統をやめてしまう。それでいいのだろうか、と思っていると、鵙さんはふくく、と短く笑って私の頬を指先でつつく。

「『厄役乃尊』という神が鈴路にいるのは知っているね?」
「はい」
「その厄役乃尊に話をつけたのが私だったからね。何の問題も支障もないよ」

厄役乃尊。口の中で、言葉を反芻する。
呪験者でなければ名前を呼ぶことすら危ういと言われる鈴路の神だ。厄役乃尊は災厄を好み、十年に一度の贄捧げを楽しみにしているのだと巫女達から教わったことがある。

そして、贄捧げに使われる者は『禍つ子』と呼ばれ、昔は生まれ落ちて直ぐに釜炒りに、今は十年という歳月をかけ、「贄として相応しい者」にする為に教育を施された後、釜炒りにされる。

その厄役乃尊には相対する神がいる。『天葉之皇』というのだが、こちらは厄役乃尊と違い人に福を与える。しかし、普通の人間のように世間に溶け込んでいる為、祈ったとしても出会える機会は少ないという。

そんなことを思い出しながら、白のパーカーと黒のスカンツを取りだした私は手早く寝間着からそれらに着替えた。




一週間後。
私と楼は、朝琉毎の龍社にいた。無論、そこで行われる祭りを見物するためだ。

髪を結い上げ、深手の帽子をかぶった私は周りからの奇異の目に晒されることがないらしく、皆が皆普通のように祭りや出店の見物をしていた。

「祭りって、にぎやかなんだね」

『じりじりと肌を焼く太陽が鬱陶しいけれど』と、心の中で思いつつ、私は楼の手を固くきゅうと握る。
私にとって「陽光」というものは意味を成さない。何故ならば、日に焼けないよう鵙さんの呪術で紫外線を反射させるようにしているからだ。

「うん。でも朝琉毎全体をあげて行われる『例大祭』はもっとにぎやかだよ」
「……例大祭?」
「普通『例大祭』って一年に一度なんだけど、朝琉毎だとほら、十の街に分かれてるでしょ?それぞれの街の一番大きな神社がめいめいに……っていうよりは、朝琉毎全体で纏めちゃったほうが早いからって。だから五年に一度、朝琉毎例大祭があるんだ」
「鈴蕗だと違うの?」
「鈴蕗だと例大祭ってやらないんだよね。『贄捧げ』があるからさ」
「へぇ……」

そしてその「贄捧げ」を新しいものにするために、私と楼がある種『斥候』として龍社に送り出されたわけだ。

「ま、とりあえずはさ、そういうこと忘れて出店見て回ろっか」
「うん」

再び私は、楼の手を強く握る。
大きくて、節榑立った楼の手。外から見れば、仲睦まじい兄妹の姿に見えるだろうか。
けれど、どっちかといえば私は――。

「ヒナリ?」
「……ん、何でもないよ」

柔らかく浮かべた偽の笑みは、楼には心中を悟られなかったらしい。
からりころり、と音を立て、私と楼は、一般的な者の様に、祭りの喧騒に紛れていった。
 
「……つち、にんぎょう?」
「そう。土人形」

首を傾げる私の言葉に、楼は空に文字を書く。

「この前、ヒナリが処刑されそうになって、けど俺が十年越しに正式な贄を処刑しただろ?」
「うん」
「そこから、元々『贄捧げ』を信じてなかった連中が発起して、「生身の人間を捧げるのは辞めにしよう」って話が纏まったんだよ」

新聞の切り抜きが貼られた紙を取り出して私に差し出し、楼が口頭で追加の説明をする。

「鵙がその「土人形」を造るんだってさ」
「……知らなかった」
「ヒナリはテレビは見るけど新聞は見ないからな。知らなくて当たり前かも。テレビじゃやらないような『暗部』の話だし」

楼は私に掴みかかるかのような姿勢をやめ、椅子の背凭れに背中を預ける。ぎ、と背凭れが悲鳴をあげた。

「でも、どうして鵙さんが?」
「見目だけは限りなく人間に近くした土人形を造るんだって。けど、そんな技量、『普通』の人間は持っていない」

再び私に掴みかかるような体勢になった楼の節榑立った手が、すい、と新聞の文章の一文を指し示す。

「「呪術で以て、造るなり」……」
「鵙って鈴蕗だと有名な呪術師なんだ。昔は他の街に住んだりしてたらしいけどね」

卓に肘をつき、掌を頬に当てながら楼が言う。
鈴蕗から出たことの無い私にとって、『他の街』と言われても想像がつかない。
そう思っていたのが顔に出ていたらしく、楼は軈て説明を始めた。

「鈴蕗に隣接してるのが朝琉毎って街。朝琉毎は十の区に分かれてて、そのうちの一つ――居刻街で鵙は育ったらしいよ。居刻街だと鈴路と同じように呪術師が多いみたい」
「へえ……」
「んで、鵙はそこで『黄泉がえり』をしたんだって」

黄泉がえり。話には聞いたことがある。
呪術師である鵙さんがどうやって逝んだかは分からないが、何がしかの術を死ぬ前にかけ、そして蘇ったのだろう。

そうして思案を巡らせていると、表の方からかっこかっこという音がした。鵙さんが帰って来たのだろうか、と思っていると、下駄の音以外に何か音がするのに気が付く。

がらがらと戸を開け、入ってきた鵙さんの傍らには、白色の髪をした青年が立っていた。

「えーと……誰?」
「東雲人彦。私が声を掛けた人形遣いで一等人形を操るのが上手かったから連れてきたんだ。今日から此処に住むよ」

人彦さんは笑顔を作り、ぺこり、と礼をする。
それに合わせ、私も礼をした。

「君が雛里ちゃん?」
「そうですけど……」
「十年越しの贄がいなかったら君が逝んでたんだね。まあこれからは生身の人間を捧げる訳じゃなくなるけど」

言いながら近寄ってきた人彦さんに、私は頭をうりうりと撫でられる。

「確かに、見目は贄にちょうどいいかもね」
「それはお前だってそうなんじゃないか?」
「これは脱色を繰り返したから白になってるだけだよ」

からからと笑う人彦さんを見て、楼は眉を顰める。きっと楼は人彦さんのような人が苦手なのだろう。
そんな楼を見たか見ていないかはいざ知らず、元は金髪だよー、と間延びした声で人彦さんは言う。

「人彦は……空き部屋になっている五階に住むことになるからね」
「……俺の下の階か」
「喧嘩しては駄目だよ、楼」

鵙さんに窘められ、楼は密かにぐっと手を握る。
これで楼はちはるさんに続き、人彦さんという苦手な人が増えた訳だ。
――言い争いが起こるようなことがなければ、一番いいのだが。

そんなことを考えていると、近づいてきた傀儡人形に人彦さんはコーヒーを頼み、卓につく。

「土人形を操るだけだったら鵙もできるんじゃないか?」
「私ができるのは傀儡人形の様に『自分の意志を持たず動く』ような人形を造ることだけだよ。神に捧げる土人形は『限りなく人間に近くする』から、私の管轄外なんだ」
「そこでこっちが呼ばれたんだ」

傀儡人形によってすぐに運ばれてきたコーヒーを啜り、人彦さんは鵙さんの言葉を補完した。その時だった。

「あれ、人彦?」

不意に聞こえた声にそちらを見れば、祇来さんが立っていた。

「祇来。柳月荘に住んでたの?」
「うん、結構前から。人彦も柳月荘に住むようになるの?」
「うん」
「……知り合い、なんですか?」

二人の意気投合したような態度に声をあげれば、祇来さんと人彦さんから肯定の言葉が返ってきた。

「知り合いっていうか、又従兄弟」
「だから血の繋がりはかなり遠いけどねー」

言いながら傀儡人形に昆布茶を頼み、祇来さんは卓についた。

「土人形操るんだ?」
「そうそう。鵙さんに頼まれてね」
「……どうやって操るんですか?」

堪らず、気になることを言葉にして出せば、人彦さんは笑ってまた私の頭を撫でる。
そして懐から懐紙で造られた紙人形を取り出して、それに息をかける。……すると。
紙人形が自我を持ったかのように、手足を動かしだした。

「わ、あ……!」
「雛里ちゃんこういうの観たこと無い?」
「はい、初めて観ました……!」
「祭りやなんかで観ることが出来るけれど……恐らく雛里は行ったことがないだろうからね」
「え、『贄』ってそんなことも制限されるの?」

鵙さんと人彦さんの言葉に頷き返せば、人彦さんからは驚きの、鵙さんからは嘆きの息が返ってきた。

「そういや『贄捧げ』以外で贄って見たことないな……邸の外に出ることすら許されないってこと?」
「はい。楼が連れ出してくれなければ、私は四畳半の部屋から出ることが出来ませんでしたし」
「四畳半!?うわぁキッツー……」

人彦さんはそう大仰に言って、また私の頭をうりうりと撫でる。まるで、「お疲れ様でした」とでも言うかのように。
そんな人彦さんを見て楼は眦をひくひくと動かしていた。私に人彦さんが触れている、という事実が気に食わないのだろうことは火を見るより明らかだった。

「部屋っていうか箱だよね、四畳半っていうと」
「ですね。楼には感謝してます。広い外の世界に連れ出してくれて」
「……それならよかった」

ふう、と長く息を吐き、楼は私の言葉に応える。少し間があったのは、やはり私に人彦さんが触れていることが癪に触っていたからだろう。

「人彦、少しいいかな」
「はいはーい」
「……」

鵙さんに呼ばれ卓から離れた人彦さんに鋭い視線を送る楼に、私は堪らず声をかけた。

「……喧嘩したらだめだよ」
「あーもう、解ってるって。鵙だけならまだしもヒナリに言われたんだったら仕方ないから、彼奴とは喧嘩しない」

はあ、と息を吐き、お手上げだというように両掌を顔の両側に持っていく楼を見て、私は何故か胸騒ぎを感じていた。
……何か、起こるのではないか、と。
 
余所行きの闇色の着物を着た鵙さんが帰ってきたのは、夜の十二時を回ってから少しした時だったらしい。
私を起こした、かこっ、かこっ、と少し調子外れな下駄の音は、鵙さんが上がり框に半ば癇癪を起こしたかのようにどっかと音を立てて座ったらしい音を最後にしなくなった。
──一体どうしたのだろう、と私は想像を巡らす。 呪術で以て私にかけられたままだった鵤さんの呪縛を解いてくれたあの優しい鵙さんが立てるような音ではない、と考える。

鵙さんは聡いから、私が鵙さんの帰宅する音で目を覚ましたことに勘づいている筈だ。
まだ幼いから急な階段を上り上まで行くのは辛いだろうと、一番下の部屋を私に貸し出してくれた鵙さん。甘い優しさを持って私に触れる鵙さんからは想像出来ないほど荒々しい足音を立てながら上がり框のある玄関と、食事をとったり談笑したりする為に設けられた、世間一般的には居間と呼ばれる場所を隔てる戸をぴしゃんと叩きつけるように閉める音に私の身体は嫌でも応でも飛び上がった。簡素で少し古いらしい、私の身体を横たえているベッドも、持ち主の心持ちを示すかのように、ぎしりと軋んだ。
その音が耳に届いたのかどうかは分からない。けれど、確かに私は鵙さんがたじろいだのを感じ取った。
──このまま時々ぎしぎしと鳴らしてみてはどうか。そんな考えが鎌首を擡げる。しかしその考えはすぐに打ち切られた。

鵙さんが、恐らく柳月荘で一番下にある私の部屋だけに届くだろう声の音量で、なにがしかを囁き出したのだ。
その囁きは、普通の会話のように聞き取れるような気がすれば、一転してそんなことある筈がないと嘲笑しているような気さえした。
──若しくは、巫蠱に長けた者同士だけが分かる、秘密文章のような。

一度そうだと思ってしまえば、後はもう止まらない。
あれは私を巫蠱で以て射殺そうとしているのだ、と言わんばかりに裸電球代わりに使っているランプの細めた芯が鳴く音が耳に届くと、私は夢中になって初夏になったから春よりは少しばかり軽くなった掛け布団をベッドの真ん中で丸まりながら被ることしか出来なかった。
そして、神に供されるものだけが施される気狂いめいた物語の一編を頭の中に思い描いた。そっちの方が幾分か安心出来た。
何遍も何遍もそれを繰り返し、被っている薄手の掛け布団を太陽の──それは本当に優しいと言ってよかった──優しい光が照らす頃には、他の住民が起き出してきて朝の支度をする音が、私の耳に入ってきた。
楼の、「ヒナリー?まだ寝てるの?」と言う声が聞こえてくるまで私は身動きひとつしなかった。
楼の声に安堵した私は、先程までの戦慄を捨て払い、無理矢理口を開け欠伸らしいものをひとつした。

大丈夫。楼は、いつも通りだ。
そう思っていたのは、私の衰弱しきった顔を見たからか少しばかりたじろいだ素振りを見せた人物の顔を見ようと自らの頭を上げた──その瞬間までだった。

楼の頭が、何かに撃ち抜かれて、それでも平静を装って立っているかのように、破裂していた。




やはり鵙さんはなにがしかの呪いを私にかけたのだと理解するまでには差程時間を要さなかった。
みなの見慣れた胴体が、頭が、腕が、足が。
破裂し、爆散し、切り刻まれ、無理やり引きちぎられ──全て無惨に、蹂躙されていた。

私の「誰をも見ようとしない姿」に驚いたらしい楼は、何かあったのかと私を問いただした。助けようとしてくれている楼の頭はやはり、『爆発物を顔に括りつけたまま導火線に火をつけました』と言わんばかりに破裂していた。眼窩からこぼれ落ちた楼の右目は空虚しか映していなかったし、辛うじて残っていた、血潮をぴゅうぴゅうと恐らくは鼓動に合わせて吹き出す灰褐色の脳は、そうなってしまっているのに気が付かないままに生きているかのようだった。

それを見た私は、『ヒナリはもう、贄じゃないよ』と言われた時のように烈しく泣いた。皆の顔が崩れ落ちて見えるのだ、と声にならない声で告げた。それに驚いていた鵙さんは目に手を突いて潰そうとでもするかのようにしている私を危なっかしく引き留めながら看察していた。
……軈て私の部屋の隅でどうしようもなく所在なさげに、蹲るように座っている楼を引き連れて、鵙さんは部屋を出て行く。その間にぐしぐしと強く瞼を擦り涙を止めようとしていると、あの呪いの囁きを投げかけた時の姿と寸分違わぬであろう闇色の着物を身に纏い、私の部屋を「雛里、入るよ」と格式ばって呟いてその身を室内へ滑り込ませたのだからいけなかった。私の止まりかけていた嗚咽が再び蘇る。

それを見て、私は再び烈しく泣く。
私の様子を見た鵙さんは傍らに無言のままの楼を従えたまま顎に手を当てなにか考える仕草を見せ、それから袂から前に私の髪を織り交ぜ造ったヒトガタを取り出した。
そのヒトガタの──よくは見えなかったが──目の部分に、鵙さんは呪符を穿つ。
その時だった。ふわり、となにか薄い布に視界を覆われたような感覚を覚え、私は泣くことを忘れたかのようにはたと泣くのをやめた。ぱちぱちと瞬きを数回して、厳しく細められた一斤染の目と、少しだけ開いた窓から吹きつける風に揺れる利休鼠の髪を視界にみとめ、眦から最後の一滴と言わんばかりに涙を流し、正常になった楼の顔を見る。

「……ヒナリ?」
「ろ、う……」

自らの名前を呼び、軈て先程とは違う泣き方をし始めた私を見て、楼は鵙さんに解答を求める。

私の泣き声に混じりその解答は途切れ途切れにしか聞こえなかった──から後から楼に聞いたのだが──私が晩に聞いた「者」の帰宅音は、どうやら鵙さんではなかったらしい。
その者は、物音に目を覚ました私に自分を鵙さんだと信じ込ませ、取り入ろうとしたのだった。私が気狂いめいた物語を描き出していた時に、その者は侵入者に気づいた傀儡人形に討ち払われたのだが、その音をあの「なにがしかを囁く声」に変えるような呪いを私にかけた。そして私を恐怖に支配し、 後から来る手筈にしていた怪しげな薬売りに私の症状を軽くすると言って適当な薬を売りつけるよう嘯くことにし、その場しのぎにかかるような額ではないお金を稼ぐよう成り行きを整えた──。

要するように、瑣末でありながら壮大な詐欺だった。

泣き疲れ眠り、それから夕方過ぎに目を覚まし、たまにひっく、としゃくりあげるように喉を鳴らす私の頭を撫でて、楼は静かに笑い、告げた。
一人の詐欺師は身を潰した、と。

「何故人は死ぬか、解るかい、雛里」
「……もず、さん」

視界の隅に見慣れた利休鼠をみとめ、私は名を呼ぶ。そしてその問いの答えを探した。
けれど、答えは見つからない。

永久とも一瞬とも言える時間の後、鵙さんは自ら出した問いの答えを出した。

「それが道理だからさ。永遠に生き続けるのは、何者にもできない」
「……」

夕日を背にして、鵙さんは立ち上がる。その顔は光を背にしているからか不明瞭で、どんな表情をしているか分からない。

「死した者は新たな意思を持ってもそれを自分以外の何者かに示すことは出来ない。幽霊に成ってしまえばいいと言われても、残念ながら『確実に幽霊に成る方法』は誰も明かしてはいないし、意思を伝えられる状態──生きている者でその方法を解っている者もいない……」

歌うような鵙さんの言葉。目が光に慣れても、鵙さんのその表情を汲み取ることは出来なかった。

「昨夜私が出掛けたのは、ある人が逝んだからでね──ちゃんと祓えはしたんだけど、どうやらその人と相対尽くで逝んだ者の霊魂が私にくっついて、雛里に取り入ろうとした……と。私はそう見ているけれど、さっき言ったように「死した者は新たな意思を持ってもそれを自分以外の何者かに示すことは出来ない」。楼には悪いけれど、真相は闇の中、だね」
「でも、その霊魂はちゃんと祓ったんだろ?」
「ああ、祓った。私に憑いてきて私の身内に手を出した怨みを込めてね」

そこまで鵙さんが言葉に発したところで、私は漸く鵙さんの表情を汲み取る。
──悪戯っ子のように一斤染の目を細め、沈みゆく夕日を背に、鵙さんは笑っていた。
 
目を、開けた。
目の前には、煮えたぎる油。
人ひとりなら易々と収まるだろう程に大きな釜が、火にかけられこれ以上ない程に内容物をぐらぐらと煮立たせていた。

いつか見た風景。それを私は絶望の面持ちで見ていた。
半年と少しの時間、自由を謳歌していた私にとって、「死」というものは、耐え難いものに変わっていた。

もう巫女達から教えられた「教育」は意味を成さない。
ただ一人の、年端も行かない『少女』。『贄』は『少女』に変化していた。

さあ、と促すかのように、巫女の一人──月詠鵤が、掌を私に示した。
死ねと、言っている。一人の少女と成り果ててしまった贄に。

誰かに助けを乞うかの如く、私は周囲を見回す。
けれど、それは意味を成立させなかった。
周囲にいるのは、巫女以外には生で行われる「釜煎りの刑」という見世物が始まるのを今か今かと待ち受けている無意識の罪人達しかいなかった。

……だめ、か。
いつかしたように、とん、と足を一段目の段差に乗せる。

──はいはーい、ちょっと待った。

快活そうなその声が聞こえたような気がして、私は再び周囲を見回す。けれど、見慣れたその声の主は、どこにも、──いない。

急かすような月詠鵤の手の動きに負け、もう一段、踏み出す。

──通りすがりの狼男?

再び聞き慣れた声が聞こえた気がして。私は、力無く周囲を見回した。
けれど、意外と柔らかい茶色の髪も、笑うと殊更強調される優しさを持った目も、ない。欠片も、見つからない。

人は眠っているあいだ、大抵の場合見ている光景を夢だとは思わない。太陽の光に瞼を灼かれて目を覚まし、初めて今まで見ていた光景を「夢」だと認識する。
私が見ていたのは、夢ではなかったか。
半年と少し、という長い期間の夢を見ていただけに過ぎないのではないか。
私の頭の中に幾人かの、名前と意思を持った影と、私は夢を見ていると気づくことも無く、生活していたのではないか。
それならば。私が眠っていたベッドに他人の温かさが無かったのも、ドアにちゃちな錠を掛けていた閂が閉まっていたのも、納得がいく。

最後の段に、片足をかける。差程時間を経たずに、それは両足となった。

──楼。

口の中で、言葉を呟いた。
呆然と立っているただ一人の『贄』だったものを、『少女』に造り変えた、あの狼男。
泣き出しそうになって、私は息を止めることでそれを寸でのところでせき止めた。
さあ。無言のままの、月詠鵤の視線が背中に刺さる。大丈夫。もう私は少女に造り変えられてしまったけれど、贄としての仕事は成し遂げるから。

すう、はあ。深呼吸を三度して、その足をぐつぐつと煮えたぎる油の中へ踏み出そうとした──その時だった。

「はいはーい、ちょっと待った」

あまりにも大きく感じた言葉と調子に、傾いでいた身体が動きを止めた。
私が飛び込むのを一寸も見逃しはしないと罪深き群衆達が息を呑んでいたから大きく感じただけで、その声は普通の大きさだった。

私はその声に縋るように、声の元を辿った。

夜風に吹かれ靡く、見慣れた茶髪があって。
その目は黒い色をして、けれど確かな優しさを湛えていて。

「その処刑、ちょっと待った」
「処刑では──」
「ありません、って?」

鋭く尖った犬歯が見える程、彼は口角を上げ、にっと笑っていて。

「ごめん。ちょっと遅れた」
「ろ──」

名前を言わせまいとするように、彼は立てた片手の人差し指をその笑いの形に歪められている口に持っていく。
瞬時に私はその意思を感じ取って罪深き群衆がしたようにはっと息を呑み口を噤む。

刹那──間があった。
そこにいた皆がその間を認識する前に、彼は私に「逝ね」と残酷に告げていた巫女のひとり──つまりは月詠鵤だ──のその身を、煮えたぎる油の海へと突き落とした。

じゅう、と人が「素揚げ」にされる音がした。
あまりの熱に、その素揚げは一瞬で──ある種残酷な願いでもあったが──助けを乞う言葉も上げる間すら与えられていないと言われたように、命を枯らしたらしかった。

それを待っていたと言わんばかりに、見知った彼は──狼男は、鬨の声を上げた。

「さあさあさあさあ今に見たは悲劇な椿事!十年前の贄が今ここで命を枯らした!」

狼男の言葉に釜の中を慌てて見れば、そんな色をした髪など最初から持っていなかったかのように、ぷかりと油に浮かび高熱に溶けていく琥珀色の鬘を視認した。同じく油に浮かんでただ死体を晒しているのは、白髪で、巫女服を着た人間。

「生き延びたのは罪だった!その女は十年前に命を枯らしているべきだった!罪のない、自分と似た見目の少女──血の繋がった妹ひとりを貶めるつもりで、自らの命を死神に上げ下ろしていた!」

血の、繋がった、妹。
かちり、と音を立て、パズルの最後のピースが当て嵌った気がした。

狼男の言葉が理解できないかのように、呆然と、立ち尽くす。
お姉ちゃん。口の中でその単語を転がす。
ゆっくりと、理解が脳に行き着く。それでも私はただ、阿呆のように立っていた。

私は、月詠鵤に恐怖を感じていた訳では無かった。どこか似たその顔や仕草に、親近感さえ抱いていたのだ。鏡を、見るかのように。
見目も仕草も知らぬ母を、観ていたのだ。同じようにして、父を観ていたのだ。

見目の異様な娘を産み落としたことによる恐怖。その恐怖から、両親はお姉ちゃんを産み落としてから、十年という歳月を空け、嗚呼神よと祈り、もう一度と産み落とし、寸分違わぬ異様さを持った私を放り出した。放り出された先に待っていたのは、ただ見目の奇異さに惹かれる「教育役」の巫女達だった。

姉は。月詠鵤は。いつの間にか頭髪を玩具の鬘で隠すようになったのだろう。それが十年前のこと。頭髪というのは珍しさに比例するように「こういう色だった」という鮮烈な記憶を残す。それが白色変種なら尚更だ。
玩具の鬘で目立つ頭を隠し、こっそりと、気付かれるのではないかという恐怖を抱きながら巫女服に着替える。それからあとは簡単だ、贄捧げ直前に「贄」が居なくなりてんやわんやの大騒ぎの中、さも昔からそうだったと言うように自らを探す巫女達に混じって「捕物ごっこ」に興じていればいい。
いちいち数多く、夏の夜に灯される明かりに誘われた無数の羽虫かなにかのように集っている巫女達を数える人間などいないことを長年の教育から見知っているのを、同じ教育を受けた私が知っているのは言うまでもない。

向こう側が伺い知れるほど薄い緞帳が眼前に下りていたかのように周りの景色が不明瞭な私の視界の前に、すい、とひとつの手が差し込まれる。
無理矢理頭を振って意識を明瞭にしてからよく見れば、その手の持ち主である優しげな笑みを湛えた男性が、私を真っ直ぐに見つめていた。

「帰ろう、ヒナリ」
「……うん」

きゅ、と差し出された手を握る。ただそれだけの事なのに、私は酷く安堵した──。




「まさか私まで騙されていたとはね……」
「それだけ周到に練られた"捕物ごっこ"だったってだけですよ」

ことん、と音を立て、傀儡人形が手にした盆に、鵙さんが何か一種の疵のようにも見える、割れたものを無理矢理繋ぎ合わせた跡を側面に晒している椀を置いた。
私はそれを、まだ温かみの残るホットチョコレートに牛乳を混ぜ合わせたものの入っているカップを所在なさげに手にしたまま見ていた。

十年越しの贄が引き起こした椿事は今や新聞の片隅でしか語られなくなったが、私は目を閉じるだけで仔細までありありと描き出せる。
ゆっくり目を閉じて、やがて開けて。それから、ふう、と手に伝わる温かさを冷やすかのように、私は息を吐き出した。
私の姉は、ただ一つの共有財産であるかのように気味が悪い程自らに似ている私を──妹を殺し損ねた。その代わりに、十年分にも溜まった嘘と秘密を民衆に残らず晒し、自らが供された。

「偶然、だったんですかね」

取り繕うように言葉を発した私に、柳月荘に住んでいる総ての住民の視線が集まった。

「鵙さんが楼に私を助けるように頼んで、楼が私を助け出して──その先に、鵤さんが──お姉ちゃんが、いて」
「『偶然』と『必然』は違うさ」

滑らかに、鵙さんは言葉を紡ぐ。
優しげな、けれど自らの名に恥じないかのような攻撃性を持った言葉だった。

「『偶然』はたまたまそうなったこと。『必然』は必ずしもそうなるように予定調和されていたこと──」

そこまで言って、鵙さんは組んでいた脚を組み替えたらしく、ぶつかったかしたのか、その所為で静かにかたりと音を立てて卓が少しだけ飛び上がる。

「人というのは時に残酷だ。その行為が自らを陥れているとは欠片も疑わないで、同じく血の通った──それも妹という血の繋がってさえいる生き物を殺そうと画策するのだから」

足を組み替えた鵙さんは、次に卓に肘をつき、自分の顔の前で手の指先をがたぴしと組み合わせるかのように交差させた。

あの日祭りに行き露店を出すのだと言っていた鵙さん達は、そうはしなかった。ならば何処で何をしていたのか。簡単な話だ、楼を私が殺される手筈になっていたあの祭壇に差し向ける間に、祭りの手伝いで殆どが借り出されている、私とお姉ちゃんが十年という年月寝食を過ごした邸に出向いたのだ。そこで、お姉ちゃんが確かにそこに存在していて、巫女達に混じってこっそりと『贄』という役目をほっぽり出した証拠を探し当てたのだ。
そして、「ちょっと遅れた」程度に喧騒から逃げるように離れている薄暗く湿った柳の根元でうつらうつらしている楼に鵙さんの夢での託宣を以てして全て洗いざらい視せた。
そこからは、私の知るところと同じだ。

「許しがたくあるが、同時に許さなくてはならない」

視界の端で、楼がぽりぽりと頬を掻く。

「私達も同じ、血の通った生き物なのだから」

鵙さんはそう話を区切り、後には沈黙が、人一人分の空き部屋のできた老アパートをゆっくりと支配していった。
 
そっと目を開け、目の前にあの眼差しがないことを確認してから、そっぽを向くように私とは向き合わないように反対側に正面を晒している楼の背を視認する。

鵤さんに逢ってから、私は独りで過ごす時間を極力少なくして、鵤さんの眼差しを欠片も思い出さないようにしていた。
慣れた筈の夜の一人寝すら恐ろしくて、楼のベッドにこっそりと忍び込むこと数しれず。最初は私の存在に酷く慌てていた楼は、忍び込むのが三回になった辺りで慣れたのか、私の存在をちっとも気にする素振りも見せなくなり、傍らから見れば哀れな少女の片思いのように汗を余分にかくのも気にせず楼の背中にぴったりとくっつき眠るという生活を繰り返していた。

昼間は階下の卓に行けば誰がしかがいるし、誰もいないような時には紫煙を燻らせながら何かを原稿用紙に書きつけるちはるさんの部屋に行った。それを知っているのか、楼は最近私を視界に入れてはいるものの素っ気ない気がする。

もし楼が、今しがた私がしているように同じような──或いはそれ以上のことをする為に──ぷいと私を放って鵤さんの許へ行ってしまったら。
それは何よりも、恐ろしいことだった。鵤さんと邂逅していた方がマシだと思える程に。

ひゅう、と息が漏れる音がした。その音を出したのは間違いなく私だったのだが、のっそりと、けれど素早く私の方を向いた楼の顔を見て初めてその音を聞いた、気がした。

「……ヒナリ」
「ろ、う」

壊れた蝶番が音を立てるように、私は楼の名を呼ぶ。
ひゅうひゅうと息が漏れ続ける音がする。その音を出しているのも、また間違いなく私だ。
楼はそんな私を見て優しげに顔に笑みを浮かべて、母親がむずがる子にするように、ぽんぽんと繰り返して私の脇腹を軽く叩き始めた。
それが擽ったくて、身を捩る。けれどそれは予知済みだったのか、楼は一層笑みを深くして、それでいてぽん、ぽん、とゆっくり叩く速度を変えることは無かった。

息が、漏れる。楼が、笑う。叩く速度は変わらない。
私はその行動に、本の中でしか見たことの無い優しげな親の気配を感じる。

生まれ落ちた瞬間異質だからと放り出され、贄のための教育を受けていた私。
そんな私を半ば攫うかのように横抱きにし、三日月の光が淡く照らす庭を疾駆した楼。
優しく笑みを浮かべて、私の両親が私がその身体に宿っている時に決めただろう名を告げた鵙さん。

私にとって両親というものは、御伽噺の中の存在でしかなかったのに。
いつからか、若しくは最初から、私は血の繋がっていない親を持っていた。
時には楼が。時には鵙さんが。時には祇来さんが。時にはちはるさんが。時には──鵤さんが。
私をあやす楼の姿がぼやけて見えなくなる。そこで漸く私は自分が泣いていることに気がついた。

狼男が存在するならば、今よりずっと幼い頃に読んだ怪奇談に出てきた鬼や幽霊も存在するだろう。けれどそれらは眼前に幻となってはすぐに掻き消えた。身近に、私を優しげに見ながらあやす異形──『狼男』がいたから。

人の耳がある筈の場所には、髪と同じ色をした獣の耳が。
脇腹を叩く音とは別のリズムが聞こえるのは、尾骨の辺りから生えている筈の獣の尾がシーツを叩いているからだろうか。

私は、あの三日月の夜に贄として逝んでしまった方が良かったのだ。そっちの方がずっと、幸せに逝けただろうに。
目の前にいる、狼男が、いなければ、私は。

けれど同時に、私を救い出した狼男は言葉で語るよりも短い触感で、私が今も生き続けているということを示していた。
滲む月明かりで、私は今日が満月だということを理解する。十年に一度、満月の日に行われる大きな祭り。その祭りでは、釜煎りにされた哀れな「贄」を御神体に祀りあげて大小様々な人間が、無意識に潜む自らの罪深い行為を後悔もしないで踊り狂う。

その「贄」は今、静かに泣きながら狼男にあやされつつ息をしていた。

万が一の代理で、別の贄がいるのだろうか。それとも、誰かが無作為に選ばれて、私の代わりに釜煎りに処されたのだろうか。
それは、近くに確りと、けれど遠くに疎らに聞こえる調子が外れたような祭囃子から勘繰ることは出来ない。

「今日祭りだったねヒナリ」
「……うん」
「誰か違う人が釜煎りになったのかな」
「……分かんない」
「俺この祭囃子聞くの二回目なんだ」
「……そう」
「確か──数え年で二十四歳」
「……そっか」

「贄」の居ない、見た目だけで造られたがらんどうの祭壇が存在しているのだろうか。
それを確かめることは、私にも、楼にも出来ない。
巫女達が、諦めることなく今も私と楼を探していたら。だとしたら、露店の眩しい明かりに照らされて汗ばむ年端も行かない少年少女でさえも、私達の敵だから。

鵙さんに言えば、祇来さんに付いて行った時のように私達の姿を消してもらえるだろう。
けれどそれは出来なかった。鵙さんは数時間前に祇来さんとちはるさんを引き連れて、僅かばかりのお金を稼ぐ為に、他の露天商がしているように某かの祭りの露店を出しに行ったのだから。
私も楼も、大家であるから持っている、私達のものよりも少し大きな鵙さんの自室に足を踏み入れたことは無かった。入ろうと思えばいつでも侵入出来ただろうけど、鵙さんが自らの部屋に、何かしら侵入者の意表を突くような呪術を施していないとは言いきれなかった。

だから私は泣いたまま。
だから楼は笑みをたたえて。

二人して、汗が背中を流れるのも気にせず、ぴったりと寄り添って寝転んでいた──。




騒音に、目を覚ます。
泣き疲れて、私は眠ってしまったのだろうか。
半身を起こして、楼、と声に出す。
けれど昏い部屋の中それに応えてくれる者はいなかった。
私の横に寄り添い笑みを浮かべて私の脇腹を一定の調子で叩いていた狼男は何処に行った。
部屋の中をぐるりと見回す。どこにも狼男の姿はない。
ろう、ろう、と繰り返し声に出す。何も応えるものはない。

天地が、逆転したような。そんな空想がむらむらと沸き起こる。
薄手の掛け布団を足で蹴飛ばして弾かれたようにベッドから立ち上がる。
ろう。ろうは、どこにいった。口に出した筈の音は、眠る前に何度か聴いた、ひゅう、という音になった。

息が、詰まる。
そうだ。稲妻のように答えが頭に浮かび上がる。何故彼処まで鵤さんを怖がったのか分かった。

巫女達の目と、似ていたのだ。
私を「贄」としか、ひとつの「人」としてすら、見ていない、冷酷な目。

彼女は。あの女は。何処に行った。
私から楼を奪ったのか。
何処に行くと言っていた?「またひと月程部屋を空けるから」。何処に行くという具体的な言葉は無い。

月の周期は、一定だ。決められた流れで満ち欠けを繰り返す。
巫女達から施される教育の中に「月の周期」があった。それを朧気に思い出しながら、軈て烈しく必要なのだからと必死に記憶の海から掬い出そうとする。

月はひと月に一度完全に満ち満ちて、直ぐに姿を空虚に変える。やっと思い出した月の周期とあの女が言っていた周期とを照らし合わせる。
ぴったりと、かち合った。月が満ちていくのに合わせてあの女は帰ってきて、空虚に変わる寸前に「ひと月程部屋を空けるから」と言い、出ていくのだろう。

がんがんがんがん、と打ち鳴らされる、騒音の正体である何かに麻痺して、頭を抱えるようにして蹲る。
こわい。こわい。こわい。こわい。
ろう。ろう。ろう。ろう。
どこへ、いった?

打ち鳴らされる何かがその行動を辞めたのだ、と気がついたのは、激しく動くドアノブの音がしたからだった。
見れば、何がなんでも開けなくてはいけないのだとでもいうようにドアノブが七転八起していた。

鍵なら開いているはずだが、と思うが、その考えは未だ七転八起を繰り返すドアノブが否定した。

ぐるり、と部屋を見回す。
私の部屋ではない。何処かに獣が発するにおいをひそめて、私のいるこの部屋は存在していた。

──ドアノブを動かしているのは、この部屋の主ではないか。
瞬時、そう思う。
私をあやす優しい異形。その異形が、何か急を要する用事で私を眠りの淵から目覚めさせたのではないか。

テレビで見た、気になる異性に手紙を出し、その手紙に書かれている場所でまんじりともせず気になる異性を待ち受ける少年少女。
その待ち合わせた異性の姿を目に射止めた時の、伝わってくる高揚感。それを以てして、私はいそいそとがちゃがちゃと煩く鳴るドアノブを開けないとする閂式の鍵を外した──瞬時、七転八起がおさまる。
それはゆっくりと、だが確実に。薄暗い廊下と階段を部屋の窓から射し込む月の明かりが照らしていく。

そして私は、自分の考えがなんと浅はかだったのかを、思い知った。

「みつけた」

いつか見た、包帯で顔の四割ほどを被っている、あの顔。
巫女達と同じ冷淡さと残酷さを持った、あの片目。
歪みのように開けられた口。その口と片目は、笑みの形に変わっている。

──月詠鵤が、私の目の前に姿を顕した。